非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎 : ジェシカ・ユー

数少ない顔見知りのひとびとの証言からなる ダーガー(ダージャァ)人物像録と ヴィヴィアンガールズの物語の混濁。せつない、と感じながらも、他者の視線によって象られるひとのかたちについてしばらく考えた。さてしかしさて、ダーガー柄のシフォンスカートが欲しいです。08S/Sはフラワームーブメントらしくステラとかもそんなようなの出しているけれどなんならアンダーカバーとかが直球で出してくれたらいいじゃんと思う。

ミそぎ

■京都へ!と思いたって誕生日に新幹線に飛び乗る。
 
■腑に落ちて決めた八坂神社でお祓いをしてもらう。本殿へはいろうとしたらいつものオードトワレの小瓶がどこからか落ちて割れてしまった。びっくりした。ここまでのわたしとここからのわたしを想った。さようなら、わたしはわたしだけど、纏ってたものにさようなら。
 
■身軽(気軽)になって街に繰り出したは良いけれどもうわりと良い時間なので京都京都したところはしまってるんだよにゃーととりあえずの恵文社さんへ。雑貨はともかく本のセレクトだったりを見ているとなつかしい気持ちになる。
 
■四条に戻りおなかは空いたが気分に合う店見つけられず祇園のバーに落ち着く。徹夜続きと空きっ腹に慣れぬ街とゆきずりのおしゃべりとシャンパーニュとスコッチでふあーっとなる。
 
■宿への帰路に餃子の王将があってどこかの日記かなにかで最近関西の王将と東京の王将は違うというようなことを読んだので思わず入ってしまったのですが考えてみたらぼく東京の王将のこともよく知らないや。
 
■ひのきのおふろに入って御神酒をのんで新しい1年を迎える。そして久しぶりの眠り。おふとんはすばらしいですね。
 
■明日は南禅寺へいったあとに、相国寺若冲を観てきます。動植綵絵33幅が一堂に展示されるのです。夜は柊家旅館にお泊まり!

さくらん : 蜷川実花

もしかしたら自分のお部屋で自分の鼻先にあるモニターで観たなら、女友だちの愚痴混じりのおしゃべりを聴いてるみたいで楽しいかもしれない。それはちょっと空気の読めないお話の下手な友だちなわけだけれど、目に余る男子の行動については「それってひどいねっ」って鼻息荒く憤慨したりはもちろんできる。できるし、そんな彼女のことをかわいらしくも思えちゃう。みたいな。
甘ったるくて毒々しくてキャッチーな蜷川実花カラーがパノラマにひろがるものだと思ってたのです。けれどそうでもなかったのです。そうでもないけどそうでもあるような微妙な質感。わりとスタンダードな画に落ち着けたかったのかしらと思いきやパンフレットによるとそんなこともないみたい。であるならばもっと黒がそこに滲んでくような有機的な色たちを望むよ! 画角も甘いしいったいどうしたこと! 椎名林檎楽曲も編集後に制作を開始したというわりには映画音楽としては昇華されていなくて残念なのです。テーマとオープニングとエンディングの3曲以外はうたものじゃなくてよかったと思うのです。
着物やお花や女の子がほんとうにかわゆいのでこまごまとした女子アイテムをチェックしていればけっして飽きはしないけれども… あとはもう、たとえ演出や編集もろもろ映画的に未熟だったとしても、どこかにこの女子道を誇るシーンさえあれば。願わくばフラガールのソロダンス練習シーンのように、ふたつの花魁道中シーンに作品の肝となって欲しかったのです。その闊歩が嘘くさいほど豪奢で絢爛、完全無敵状態でありさえすれば説得力も生まれたでしょう?
しかししかして、ふいにきた(原作読んでたけど忘れていた) 男の子の恐ろしさにはぐっさりやられて大泣きしました。古今東西すべての女の子が見たことのあるであろう鬼がでました。これだからこわい。男の子は本当にこわい。こんなにショックなのにでもきっと「ちかごろのわかものは〜」という嘆きと同様、ずっとむかしから「よくある話」なんだろう。そう思ったら果てしないところへ意識が飛んでしまってあとはもう飲み込むしかなくなったので飲み込みました。
嫌いにはなれない映画でありんす。
木村佳乃さんの半月型のお目々がたいへん美しゅうありんした。
 
(追記)
そういえば。入浴場のシーンはリアルだった。そこだけリアルな感触なのが良いのかどうかは別として。あの生々しさを小さな頃からうまく受け入れられずにいるので、わたしは未だに公衆浴場が苦手だったりする。のだなー。

プライマリー

smr32007-02-27

■途方に暮れたわたしを彼方から呼ぶきみ。そばにはプライマル。手首にはブレスレット。ヴェレダの匂いたちは日々の祓い。自分の口からでた言葉にはっとしたり、きみの表情に目を細めながら、いまいる場所を何度も確認した。2日まえに来たときにはうまく息のできなかった街。すこしは平気になった? それは気のせい? 
 
■天気が良いので散歩。ぐんぐん散歩。お昼ごはんを食べてそのままふらっと映画館へ。映画の中の男の子にがびーんとした。なので(なので?)しゃぶしゃぶを食べたりした。光はそこかしこに。あるのはもとより知ったこと。よくある話とほんとうのことのあいだにあるものなどについてかんがえる。永遠を口にするときには悪魔に魂を売るくらいの覚悟で吐き出している。というわけじゃないんだな。ふつう。とか。
 
■それでも不穏な朝というものはやってきてたいせつなブレスレットが早くもぷつんと切れた。ブレスレットが切れたから不穏、なんじゃない。不穏だから切れた。のだよ。粉っぽくてでも重たい闇を壺からすこし零してしまっただけでこの有様とはなんとも先がおもいやられることです。こぼれ落ちた石を拾い集め手のひらで包み暖め祈った。
 

しょうめつ / マグノリア

smr32007-02-21

■そのURLのページは存在しません。
 
■アンテナとかに反映されてないっぽいのでここのURLを打ち込んでみたらこのようにいわれました。うなー。ここにあるのにー。つたわらないきもちみたいだ。や。つたわらないんじゃなくてつたわってもなんのこうかもなくなることもあるよね。とかなんとか更新てすと。
 
■そか。はてなは1日1ページなのでしたっけ。
 
■みーてぃん合間。ロクシタンチェリーブロッサムの練り香水を買いました。チェリーブロッサムのオウドトワレは転び方が好みではなかったのでやめておきました。はじめのかわいらしさはとても良いのだけれど。なのでマグノリアのオウドトワレにしました。マグノリアは製造中止になっちゃうんだって。それにしても買ってしばらくしたあとに思いもしてなかった符号に気づいたよ。ぼかーひとりで苦笑いしたね。
  
■みーてぃん合間2。立ち食い蕎麦(でも座れる / 吉祥寺駅ナカのやつ)食べた。ひとりでさくっと掻き揚げそばー。デカかった。 
 
■いい加減もう底についてもいいはずなのに。うさぎどこー? お茶会どこー?

永遠は永遠なのである

■なにごともうまく過ぎ去らせられないのでどんどん積み重なってあふーってなる。
 
■だがしかし。
 
■永遠は永遠なのである。せつなてきな永遠など知らないのである。それは甘くてぴかぴかしていて世界そのものであるかもしれないけれども、でももっと強く! もっと高く!
 
■というような感情生活を忘れそうになりますさいきん。あぶない! よわってる! ひよってる! ばかばか! とおもったらなるほど 18ヶ月もうっかりしていたようでした。いやうっかりしてないけどアリスは穴を落ち続けていたよ。だからいっこ前のエントリだってきのうのことのよう! 情報の記憶力は定かではないけれど情景の記憶力が冴えすぎていて、なんにもぼやけないから思い出にならないのです。ちょっとこまる。かなりこまる。けどそんなにわるいものでもない。はずなんだ。
  

「若冲と江戸絵画」展

苔子(id:kco)ととっても楽しく観ましたよ。若冲の部なんて The Eccentrics と銘打たれてたしね! いろんなトラーとぐるぐるツルがすてきだと思いました。あとぐるぐるツルとぐるぐるダンスの呼応とか。 若冲と並んでみんな大好き酒井抱一さんは、12カ月の最後の1枚だけ納得いかなかったかな。なんだかよく見ると若中展ポスターと上野動物園ポスターの存在意義がねじれの位置に入っていたし、いまにして思えば上野駅を出て近道だという階段をのぼったあたりからたぶん次元が変わってたんだと思う。ユートピアへ! もしくはなんというかこれもいわゆる一種のポケモンプロローグなんでしょ(えー)。 さて、そんな次元の歪みはそうそう解けるわけもなく、藝大学食キャッスルのランチも通りすがりの喫茶愛玉子もお散歩谷中もおおいにぐるぐるしていたのであった。だからザクロでの狂乱も必然なのである。きっと。なにあれ? ほんとうにある次元なのかい?  アリさんすごすぎます。